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千葉家庭裁判所松戸支部 昭和57年(少ハ)1号 決定 1983年1月20日

主文

当裁判所が少年に対して昭和五六年八月一〇日にした初等少年院送致の決定は取り消さない。

理由

第一  上記少年は、当庁昭和五六年少第八一八号殺人保護事件(以下「原事件」という。)について昭和五六年八月一〇日に別紙のとおり殺人非行事実により初等少年院送致とされ、現在神奈川医療少年院に在院中の者であるが、同少年の附添人作成の昭和五七年五月三一日付「保護処分取消申立書」と題する別紙のとおりの書面が当裁判所宛提出され、さらに同附添人から関係報告書等及び九通の意見書が提出されたところ、それら提出書面の要旨は、原事件の犯行場所に遺留されていた兇器とされる果物ナイフと同種の果物ナイフが昭和五七年五月二七日に少年宅の少年部屋押入内の来客用の新調した蒲団を収納した紙包内から発見されたところ、同ナイフは、少年が昭和五六年六月七日ころ購入のうえ所持し、その後少年の部屋の押入内の上記蒲団包の中に入れられたまま、同月二八日の少年宅捜索時にも発見されず現在に至つたものであり、遺留された兇器の果物ナイフが少年の購入所持していたナイフでないことが明らかになるとともに、少年の犯行の自白についても、具体的・詳細に客観的事実に符合しているようであるが、捜査官の誘導と少年の事件報道からの知識により述べられているもので、加害者でなければ知り得ないような刺切行為の部位・回数など肝心な点が符号して述べられておらず、自白の信用性は虚偽のものというべきであり、加えて、兇器のナイフから少年の指紋が検出されていないこと、被害者の刺切された部位・態様から加害者の衣類に相当の返り血があつて然るべきところ、事件当時少年の着ていた衣類には血液の付着した跡が発見されないとともに、果物ナイフを握つていたとされる右手には当時包帯が巻かれていたところ、少年宅から押収された包帯には血液付着の跡が認められないことから、兇器のナイフが少年のナイフでないことと併せ少年の自白に対する補強証拠としての物的証拠は皆無であり、少年が殺人罪を犯したとの非行事実は到底認めることはできず、少年に対し審判権のなかつたにもかかわらず保護処分をしたことを認め得る明らかな資料を新たに発見したので少年法二七条の二第一項により少年に対する保護処分の取り消しを求めるというのである。

第二  そこで、少年法二七条の二第一項所定の審判権のなかつたことというのは非行事実を認めることができない場合をもいうものとして同条所定の取消事由の成否について検討する。

一  当裁判所において調査及び審判した結果によれば、昭和五七年八月一二日当時、少年宅の昭和五六年七月六日以前に少年一人が使用していた二階洋室の押入内の右側上段に新品の蒲団数枚を包み、それを縛る二本の水色ビニールひもが正面部で切断され、正面合わせ目が拡げられた状態の茶色の紙包があり、その包内の正面底部には鞘付きの果物ナイフ一丁(昭和五七年押第九一号の一)が存するのが見分され、同ナイフは同年五月二七日からその状態で同場所に置かれていたこと、同蒲団包は昭和五六年六月一四日以前から同じ場所にビニールひもで縛られ正面合わせ目を一部ガムテープで貼り合わせた状態で置かれていたことが認められるところ、同ナイフ(以下「発見ナイフ」という。)の刀身は犯行場所に遺留されていた果物ナイフ(昭和五六年押第一一一号の二三)と大きさ、型、色、銘柄等同一の物であり、使用・摩耗状態もほぼ同一で、発見ナイフの刃体部右側面中央部及び左側面基部に指紋の付着がある他に付着物は無く、同右側面中央部の指紋は少年の右手中指指紋に類似しているものであることが認められ、少年は、発見ナイフについて、昭和五六年六月七日ころ千葉県柏市内のスーパーであるベンリー柏東店で購入し、それ以降自室のカラーボツクス中に置いたまま、同月一四日にクツ下の中に鞘付きのまま差し込んで自転車に乗つて外出し、同日正午ころに柏市立柏第三小学校に赴き校庭内を自転車で走り回つたりして、午後一時ころ顔見知りの阿部正大に会い、レコードシヨツプやスーパー店舗内の書籍店に寄つて同日午後五時ころ帰宅し、クツ下の中から発見ナイフを取り出し、自室押入れの右上段に置かれていた茶色の紙で全面包装されビニールひもで縛られた状態の蒲団包の正面の紙の合わせ目のすき間から同ナイフを差し込んで入れたもので、同月二七日の捜査官の執拗な取調べに自己が犯人でないことを述べるのが面倒になり犯行を認めることとし、被疑者として同月二八日に少年の部屋が捜索された際にも発見ナイフの所在を告げず、また、捜査官も同蒲団包内を調べることなく発見ナイフは同包内に置かれ、取調官の言うとおりの事実と報道から知つていた事実を混じえた供述をして殺人事実を認めたまま昭和五七年五月に至つたものの、少年自身当初の見込より少年院収容期間が長引くと知つたことや、被害者遺族への賠償資金に当てるため少年宅を売却せざるをえないとの話を面接の折母親から聞かされて、同居宅は少年ら家族が従前古い家に住んでいたのを家族のものとして新居を購入入居したもので愛着があつたため、それまで周囲の人々を信用できずに諦めていたものの本当のことを言う気持になり、昭和五七年五月二四日の母親との面接時に犯行を否認するとともに、同月二七日の附添人及び長姉との面接時に自分が購入所持していた発見ナイフの所在を初めて告げることになつたもので、原事件当初は発見ナイフの存在を言うことは怪しまれると思い秘匿していたというのである。

そして、少年の母親は、昭和五六年六月一四日ころの上記蒲団包の状態について、少年と同旨の供述をし、同月二八日の捜索時にも同包内は調べられたことはなく、昭和五七年一月ころ蒲団の湿気をとるため包装のビニールひもを切つて正面合わせ目を幾分拡げたが下の方まで見なかつたため、発見ナイフの所在に気付かないままであつたと供述しているものである。

二  原事件の一件記録を精査するとともに当裁判所が調査及び審判した結果によれば、次のことが認められた。

1  原事件の捜査及び保護処分の経緯

昭和五六年六月一四日午後一時ころ、千葉県柏市立柏第三小学校校庭で波田野みどり(当時一一歳)が右胸部の刺創に基づく心臓損傷による失血が原因で死亡する事件が発生し、その右前腕部には兇器とされる果物ナイフが刺さつたまま遺留されていた。被疑者として、当日同小学校に居た者、同種ナイフの販売先が重点的に捜査されたところ、当日同小学校校庭南側砂場付近で遊んでいた小学生らによる手に包帯をした目付のきつい自転車に乗つた男の子を見たとの話や、そのころ同様の風体の男子を見たとの他の数名の目撃者の話をもとに、同小学校関係者からそれに該当する者として自転車に乗つて同校校庭によく遊びに来る同小学校卒業生である少年のことが聴取されるとともに、小学校時に少年と同学年で面識のあつた阿部正大とその友人が当日午後一時ころ同校内で少年に会つたとのことなどから、少年が同月二七日柏警察署に母親と共に任意出頭のうえ、同日午後一時から午後四時ころまで単独で、同日午後四時から午後八時半ころまで母親立会いのうえ、取調べられ犯行を自白するに至り、兇器のナイフは同月七日ころスーパーベンリー柏東店で購入したとの供述をもとに捜査がされ、同店のアルバイト店員がそのころ少年らしき人物に同種ナイフを売つたとの供述が得られていたところ、同月二七日は帰宅のうえ、翌二八日午前七時二〇分ころから同八時四〇分ころにかけて、兇器のナイフの鞘は事件当日帰宅後に自室クズ箱に捨てたとの少年供述により、鞘、包帯等を目的とする少年宅内の捜索がされたが、鞘の発見に至らず少年部屋内にあつた一三本の包帯等、クツ下などが押収された。その後、少年は、同月二八日の司法警察員の取調べ(母親立会い)、同年七月六日の逮捕、同月六日の司法警察員の取調べ(母親立会い)、同月七日の犯行場所付近の検証の立会い(同小学校教頭酒巻兼吉立会い)、同日人形による犯行状況を再現しての実況見分の指示説明(少年の学校担任教師伊原忠立会い)、同日の司法警察員の取調べ(同教師立会い)、同日の検察官の取調べ、同月八日の観護措置手続での陳述、同月一〇日の検察官の取調べ、同月一一日及び一三日の司法警察員の取調べ、同月一五日の検察官の取調べに際し、いずれもほぼ同旨の供述や指示説明をし犯行を認めるとともに、同月八月七日及び一〇日の原事件の審判でも同旨を述べ、少年院に収容のうえ抗告期間を満了し、収容下に矯正処遇を受けながら昭和五七年五月に至るまで非行事実を否認する態度は見られなかつた。

2  原事件についての少年の自供以外の捜査結果並びに当裁判所の調査及び審判した結果の内容

(一) 少年が事件当日着用していたとされる黒色ジヤージ、黒色学生ズボン、バンド(以上昭和五六年六月二七日押収)、白色スポーツシユーズ(同月二八日押収)について、黒色学生ズボンの右大腿外側に米粒大の一ケ所、右臀部に大豆大及び半米粒大二ケ所の計三ケ所の各血液反応があるが人血の識別困難であり、他の衣類等には血痕反応はない(千葉県警察本部刑事部科学捜査研究所技術吏員作成の昭和五六年七月一日付「検査結果について」及び同月二日付「鑑定書」と題する各書面)。

(二) 兇器とされる果物ナイフからの指紋は検出されず(司法警察員佐藤彰作成の昭和五六年七月一三日付指紋採取報告書・採取実施日同年六月一四日)、柄及び刃の部分から布目痕様のものを検出した(司法警察員林力作成の同年七月一三日付指紋採取報告書・採取実施日同年六月二八日)。前記布目痕が少年宅から押収された一三本の包帯等により印象された可能性は少ない(千葉県警察本部刑事部鑑識課技術吏員作成の同年七月七日付「検査結果について」と題する書面)。同押収にかかる包帯等全てについて血液反応は陰性(同研究所技術吏員作成の同年六月二九日付「検査結果について」と題する書面)。

(三) 被害者の受傷状態について、司法警察員作成の昭和五六年六月二二日付「死体解剖鑑定立会い結果について」と題する書面謄本によると、胸部の刺創状況から「・・・・・・したがつて凶器の刃部は上方にあり刃背は下方と判断する。・・・・・・」旨の記載のあるところ、解剖医木村康作成の昭和五七年八月二四日付「被疑者不詳に対する殺人被疑事件に関する被害者波田野みどりの死体解剖鑑定書」と題する書面及び証人木村康の供述によると、胸部刺創は刃背部を上、刃部を下とする形で形成されており、また、右前腕部表面の二個の独立した創傷と同部分の凝血の具合から、右前腕部への二回の刺切行為がありそのうち前腕部下方を刺し通したものが右胸部を刺切したとする計二回の刺切行為か、右胸部を刺切した後右前腕部を二回刺切した計三回の刺切行為かの二通りが考えられ、前者の場合は後者の場合に比して一層強く加害者への飛沫状の返り血が付着する可能性があるというものである。

3  少年の原事件における自供状況及び内容

少年は、昭和五六年六月二七日午後呼出により警察へ任意出頭のうえ、同日午後一時から午後四時ころまで単独で取調べを受け犯行を認める供述をした後、同日午後四時ころから母親立会いで取調べを受け同旨の供述をしたが、単独の折に取調官から暴行、威迫を受けたり、また、畏怖したりしたというような状況は、その旨の少年の供述や他にそれをうかがわせるような事由もなく、同状況は認められず、以後の取調べについても同様であるところ、少年は、昭和五六年六月七日ころ、柏市内のスーパーベンリーで果物ナイフを五〇〇円で購入し、自室のカラーボツクス中に置いておき、同月一四日に同ナイフを携帯して外出し、前記小学校でこれまで面識のない被害者を認め、進学のこと、ステレオが欲しいが手に入らないこと、次姉とのケンカのことなどでムシヤクシヤしていたので気晴らしのため驚ろかしてやろうと思い追尾し犯行に及んだこと、被害者の所持品・衣類等については、一部認識のないことや不明瞭な部分をとどめたままその余の点はほぼ実際と符合する内容のものであること、果物ナイフの所持態様については、右足クツ下の中に入れており、それを右手で引き抜いて背後に隠し持つて追尾したこと、刺切の際のナイフの握り方については、右手で刃を下に向けるようにして引き抜いてからそのまま刺したこと、追尾のうえ被害者の右横を追い抜き右斜め前から被害者の右胸あたりを目がけて刺したら右腕も刺さつてしまい、抜こうとしたら右腕にひつかかつて抜けなかつたので、そのまま逃げたが、刺切行為は一回だけだと思うこと、犯行直後右手に巻いた包帯を見たら血は付いておらず、クツ下の中の鞘は帰宅後自室のクズ箱に捨て、当日していた包帯ははずして家の洗濯物入れに置いたことを、昭和五六年六月二七日からほぼ一貫して供述しているものである。

三  上記一、二の事実を総合して少年の原事件における自供の信用性についてみるに、上記のとおりの発見ナイフが、仮に少年により蒲団包の中に入れられたものであるとして、少年の供述する昭和五六年六月一四日の帰宅後に発見ナイフを直ちに蒲団包の中に入れたとの状況は、以前自室のカラーボツクス(中空の箱を組み合わせ覆い等の無いもの)に入れていたこともあると供述している少年について、殊更に人目に付かない場所に入れたうえ、さらには原事件の捜査、審判中にそのことに言及せず秘匿していたものであつて、その訳について、少年からは一層怪しまれると思つたからという程度の供述があるだけで、そのような留置態様や留置経過をたどつたことについて不可解な面をとどめており、このような状況での発見ナイフの存在は、少年と兇器の果物ナイフとの関連を一概に否定したり矛盾させるものとばかりいえず、それ自体では直ちに疑念をいだくべきものといい難いところ、少年の他の自供内容を検討すると、前記「死体解剖鑑定立会い結果について」と題する書面謄本中の右胸部刺創における兇器の刃の方向に関する記載によれば、少年のナイフの握り方は刃を上向きにしたものとなり、捜査官側には、これを前提にナイフの握持態様の質問を重ね確認に努めていた様子であることがうかがえるところ(「僕は靴下にナイフを差すとき刃の方を後ろに向けて置きそのまま手に持つたので刺したとき刃が下だつたかも知れませんが握り直したりしたので逆になつているかも知れません。」昭和五六年七月六日付司法警察員に対する供述調書、「問 そうすると君の手に持つたナイフの刃はどこを向いているのですか。答 ナイフの柄を握つた手を真直前に延ばすとナイフの刃は地面の方を向きます。」同月一〇日付検察官に対する供述調書(一七枚綴りのもの)、「問 その時ナイフの刃は上向きになつていたのではないですか。答 刺す時は刃がどの方向を向いていたか判りません。問 くつ下の中からナイフを抜き取つてから刺すまでの間にナイフの柄を掌の中で廻したことはないですか。答 そんなことがあつたかどうか判りません。私としてはくつ下の中から果物ナイフを抜き取つて持ち変えないで刺したと思います。・・・・・・」同月一五日付検察官に対する供述調書等)、少年は、その確実であることは留保し一部不明瞭な点はあるものの、当初からほぼ一貫して刃背部を上、刃部を下にした握り方を供述しており、また客観的な胸部創の形状も刃背を上刃部を下にして形成されているものであること、少年の衣類等についての物的捜査が開始され検査結果の出る前から少年自身衣類・包帯への血液付着の状況を認めなかつた旨を述べていること、鞘付きの果物ナイフをクツ下の中へ入れて携帯したうえ、犯行後残された鞘はクツ下の中にとどめたまま自室のゴミ箱に捨てたという所持態様や鞘の残留状況の自供のことなどから、客観的状況(一部資料として誤つていたものを含めて)を知つていた捜査官から通常なされると考えられる指摘等に対し、少年は、相対立したり一部いささか不自然ともみられる内容の供述や、体験者でしか知り得ないような特異な事由の供述を一貫して行い、その内容も結果的には概ね客観的状況に符合しているもので、年齢・資質からする多大の被影響性が慮られるなか、これらは少年の自供の信用性を担保する事由というべきである。以上のことに加えて、少年の原事件における自供の状況や、少年が自白のやむなきに至つたとして現在述べる事由とを併せ考慮すると、兇器とされる果物ナイフと同種ナイフが上記のとおりの状況で少年により少年部屋に留置されていたとされるということは、少年の犯行の動機が薄弱であることや、被害者の血液付着の可能性などからする物的証拠の乏しいことなどその他附添人指摘の少年に有利ともいうべき諸点と共に考慮しても、結局、少年の自白の信用性に疑念をいだかしめる程のものではなく、少年の原事件における自供については、任意性はいうまでもなく、信用性を有することが認められる。

四  してみると、少年は、事件当日、果物ナイフを携帯して犯行のあつた柏市立柏第三小学校に赴き、事件発生時刻ころ阿部正大他二名と会うなど同校校庭内におり、そのころ事件が発生し、少年の携帯した果物ナイフと同種の果物ナイフが当日終始単独行動をとつていた少年の居合わせた学校校庭内で犯行に供せられ遺留されていたことと、前記のとおり任意性及び信用性が認められそれらを疑うべき事由もない少年の原事件における自供及びその他の資料を総合すれば、少年については原事件決定の非行事実に副う殺人罪を犯したとの非行事実を認めることができ、兇器とされる果物ナイフと同種ナイフが上記のとおりの状況で少年の部屋から発見されたことはその余の事実と併せ考慮しても、上記のとおりの非行事実の認定について合理的な疑いを生ぜしめる程のものではなく、少年法二七条の二第一項にいう少年に対する審判権がなかつたことひいては非行事実の認められないにもかかわらず保護処分をしたことを認め得る明らかな資料を新たに発見したときに該当するとはいえないので、少年に対する保護処分を取り消すことはしない。

よつて、主文のとおり決定する。

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